志人・スガダイロー「詩種」 推薦文: 『一瞬の一生、たまゆらの露』 岡部えつ(作家)

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『一瞬の一生、たまゆらの露』 岡部えつ(作家)

 一枚の音楽メディアであり、一冊の書物であり、またひとつのペーパーアートでもあるこの2,500円の代物を、わたしは密かに『檜原村叙事詩』と呼んで愛でている。なぜならば、多くの韻律を孕んだ濃密な言葉群によって語られる諧謔と教訓と皮肉に満ちたこの物語は、白猿という魅力的なキャラクターの英雄譚であり、また獣に姿を借りた土着の神々の神話であるからだ。

 メインとなるストーリーは、傲慢だがどこか憎めない山の神、赤鼻天狗と、人を食ったような白猿との知恵くらべである。互いに不可能なものを要求し合ったこの大勝負を巡って村は大騒ぎ、鉄火場と変じた居酒屋では獣たちが喧々囂々たる大立ち回りを演じ、やがて赤鼻天狗の怒りが世界を転覆させてしまう。そうしてわたしたちは、天地が逆転した闇の中でもただ一人泰然自若とした白猿が啓示し、村の嫌われ者であるイタチが悟る、ある真実へと導かれていく。
 この血湧き肉踊る物語が、ラップというより声明(しょうみょう)に近い荘重さと滑らかさを持った志人氏の語りと、時に水流となってたゆたい、時に風となって吹き荒れ、物語世界を変幻自在に躍動させるスガダイロー氏の音楽との、息をも継がせぬくんずほぐれつで展開していくのである。
 そしてもうひとつ、この大スペクタクルをサンドイッチのように挟みこむ、なんとも甘美なストーリーがある。恋に悩む心優しいテンと、それを見守る泰山木(たいさんぼく)とのエピソードだ。
 プロローグ、泣き腫らしたテンの目に、泰山木は朝露の目薬をさしてやる。そうしてその根元でテンがまどろむ間に、レンゲショウマの咲き乱れる夏地で、赤鼻天狗と白猿の騒動が始まるのだ。
 混乱した世界が元通りになったあとのエピローグ、再びこのテンと泰山木との穏やかなシーンに戻ってきたとき、わたしたちは初めて、わたしたちが手に汗握る大冒険をしていた間、テンがずっとそこで眠っていたことを知る。
 村の一方で天地がひっくり返っている間も、おそらくテンは何も知らず、何も気づかず、泰山木の柔らかな木陰に包まれて眠っていたのだろう。そうして全てが終わったあとで泰山木がしたことは、眠っているテンの口に露のしずくを垂らして、そっと起こしてやることだった。
 次の瞬間、目覚めたテンが放つひと言で『詩種』の物語は唐突に終焉する。わたしたちはそのひと言ににやりとし、そのあとハッと思い至るのだ。
 もしやあの壮大な冒険物語は、全てこの心優しいテンの一炊の夢だったのではあるまいか。はたまた、何もかもを見透かした泰山木がテンに見せた幻影だったもやもしれぬ。
 してやられた。

 この一枚に触れて以来、わたしの頭の中には檜原村が生まれてしまった。耳を澄ませば楽しげな音楽が聴こえ、そちらに目をやると、レンゲショウマが風に撫でられさわさわと揺れる合間に、イタチの尻尾がするりと逃げていくのが見える。その去りしなに「ほっとけよう」と言葉を残して。
 この物語を一緒に旅した人は、同じようにそれぞれの檜原村を持つことだろう。これは、そんな幸福な体験をもたらしてくれる作品である。

<プロフィール>
作家。第三回幽怪談文学賞受賞後、2009年『枯骨の恋』でデビュー。
2011年、Dystopia Sessionや東保光+アナベルとのユニットで、朗読活動を開始。
ブログ=『常習女』http://joshuonna.exblog.jp/
ツイッター=@etsuokabe
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