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テレビ東京系で放送中の0~2歳向け番組「シナぷしゅ」のCDおよびDVDが、12月1日にリリースされます。

昨年8月のうた"とっぴんぱらりのぷぅ"もCD・DVD両作品に収録されております。



テレビ東京「シナぷしゅ」初のCD&DVDが12月1日にリリースされます。_d0158942_20183243.jpg

CD https://columbia.jp/prod-info/COCX-41632/

赤ちゃんの世界が「ぷしゅっ」と広がり、パパママの肩の力が「ぷしゅ〜」と抜ける

民放初の0〜2歳向け新進気鋭の番組「シナぷしゅ」初のCDが発売!


番組で大人気の「一緒に歌って遊べるうた」がいっぱい!(全曲歌詞カード付き)


更にボーナス・トラックとして、シナぷしゅ器楽曲『んぱぱぱ ぴぴぴん』、初公開の〈ヒカリの森の黒うさぎ〉テーマソングも収録。

「シナぷしゅ」ならではの、個性豊かな楽曲が満載!
エンドレスに聴きたくなるアルバムを通して赤ちゃんに多様な音楽をお届けします!


テレビ東京「シナぷしゅ」初のCD&DVDが12月1日にリリースされます。_d0158942_20183012.jpg


DVD https://columbia.jp/prod-info/COBC-7259/


赤ちゃんの世界が「ぷしゅっ」と広がり、パパママの肩の力が「ぷしゅ〜」と抜ける

民放初の0〜2歳向け新進気鋭の番組「シナぷしゅ」初のDVDが発売!
「つきうた」「毎日の生活が楽しくなるうた」「参加して楽しい遊びうた」など大人気のうたが沢山収録され、

さらにDVD撮り下ろしのオリジナルコンテンツも収録! 「はじめてのDVD」として特別な一枚になる工夫も盛りだくさんの内容。

テレビ東京系列6局ネットで毎週月曜〜金曜朝7:35〜8:00放送中の民放初の0〜2歳向け番組「シナぷしゅ」。
2019年12月にパイロット版が放送され、2020年4月からレギュラー放送が開始し、人気を博すこの番組から初となるCDとDVDが発売。
「赤ちゃんにテレビは見せない方がいい」と思われている傾向がある一方で、スマホでは玉石混交の動画を見せている現状…
そこに疑問を持ったテレ東社員が「赤ちゃんにも良質な動画コンテンツを提供したい!」と、(ある意味、“視聴率を無視して”?)立ち上がり、

子育て奮闘中の社員たちを中心にプロジェクトを始動。制作局だけでなく、ビジネスセクションからも社員がプロデューサーとして参加し、

「自分の子供に見せたい」と思えるコンテンツを開発している。
番組名の由来となっている「シナプス」とは、脳の神経細胞と神経細胞の間にあるつなぎ目のこと。

脳の神経細胞は、成長にしたがって「増える」のではなく、シナプスによって「つながる」ことで発達する。
適切な刺激でシナプスをどんどん増やし、脳の発達につながる、そして赤ちゃんの世界が「ぷしゅっ」と広がり、

パパママの肩の力が「ぷしゅ〜」と抜ける、それが「シナぷしゅ」だ。


はてなしはてな?(作詞・作曲:志人) 映像 最後の手段





テレビ東京 「シナぷしゅ」さんに再びお声がけ頂きまして
9月のうたを担当させて頂きました。
身に余るお役を拝命し、大変恐縮致しております。

昨年、8月のうた「とっぴんぱらりのぷぅ」を担当させて頂いたことが御縁で、
素晴らしい映像作品を手掛けていらっしゃる"最後の手段"さんとも再び共作させて頂く事が出来て、とても光栄で御座います。

"最後の手段"さん :https://saigono.info/


本作品「はてなしはてな?」は テレビ東京さんにて9月一杯、月曜日から金曜日まで、朝夕と毎日放送されます。
宜しければご覧頂けましたら幸いです。

テレビが家に無い(我が家もありません。)という方へは、YOUTUBE等にてアーカイブされていますので、そちらでもご覧頂けます。

この完全に子供向けというわけでは無いかも知れない 赤ちゃんのまま大人の姿になったわたくしめの音楽ならぬ田楽踊跳を
毎度受け入れてくださる シナぷしゅさん 、そして赤ちゃんのみんな、ミライの赤ちゃん、おかあさん、おとうさん、おばあちゃん、おじいちゃん、
少年少女青年淑女老若男女動物果物草花樹木土風雨霰雪火日月海川山生物無生物生命非生命体....はてしもなく

ありがとうございます。

 

<はてなしはてな? 制作果無話>

本作品を制作するにあたり、今回、私は実は2曲制作しました。
1曲目は「てっぺんかけたか」という曲で、(後にお蔵入りになりました。)
ホトトギスの鳴き声を人間が声帯模写したものが「テッペンカケタカ」であります。
「てっぺんかけたか」は、自然音フィールドレコーディングや子供達の声を沢山取り入れて制作しました。
「はてなしはてな?」に比べて「てっぺんかけたか」は展開が目まぐるしく、言葉数や音数も大変多い曲でした。
内容は "朝、起きたら 僕は 地球になっちゃった!! " という物語でした。
何かに"なりかわる"ことが瞬時に出来てしまう私達人間の特異な才能をテーマに、「音楽を越えた化学(バケガグ)」、が「てっぺんかけたか」でありました。
当初はこの曲で行こうという話になっていたのですが、しかし、出来上がった曲を息子達と聴いていると、踊り狂って、曲を聴き終わった後も終始落ち着きがなく、
暴れまわってしまう、まさに「化け学」な曲でありましたので、番組プロデューサーの飯田様を始め、番組制作の方々の印象等を聞いてゆくと、
同じ様に、子供たちが興奮してしまうという現象が起きていました。 

そこで、自分としても何かもっと子供たちから引き出されるものはないかな?と考えてみました所、そこにはちょうど次男の静かな寝顔がありました。

その寝顔をまじまじと見つめていますと、「なの?」という声が聴こえました。 
それは、普段から子供たちが私達へ投げかける形而上学的な疑問、否、レンマ学的な?
(星が何処から生まれたのかとか、土って何から出来ているの?骨ってどうやって出来ているの?人間ってどうして人間なの? 僕はどうやって生まれたの?etc)
その、大人たちが即座に答えるのにはおろおろしてしまう疑問、「?」「どうしてなの?」に溢れたまま人は眠りについていることを想い出しました。

眠る前にお布団で絵本を読むのが日課なのですが、絵本を閉じた後、電気を暗くして、さぁ寝よう、、
それでもなかなか寝付けない時に、子供たちはふと こうした疑問を私に投げかけてきます。
そしてその「?」にある程度決着が付くと、安心したように眠ります。 

眠った後もその「?」をはてしなく 夢の中で追いかけ続けているのでしょうか? 
朝目覚めて第一声に 「今日の朝ごはんは何なの?」 と食いしん坊な次男は問いかけてきます。 「?」で寝て 「?」で起きる わけです。
起きてからも その「?」の杖をたずさえて 一日の冒険が始まります。 「?」には終りがありません。

その次男の寝顔を見た時に聴こえてきた「なの?」に閃いて、 早速私は土蔵の録音スタジオに潜り込みました。
その時、私と時を同じくして土蔵に潜り込んだのが"アナグマ"でありまして、土蔵の床下に巢を掘って、ちょうど私が腰を掛ける椅子の真下に録音が終わるまで同居していました。 「私の真下には床板があって、その床板の下にはアナグマが居て、アナグマの下には,,, アナグマにとっては真上に床板があって、その床板の上には私が居て,,,」と
さかさまの立場を果てしもなく考えながら、どこからともなく降ってきたメロディーに心眼銀河を峙てて、
一夜にして出来上がったのが「はてなしはてな?」でした。

「はてなしはてな?」には具体的な星の名前(地球や太陽や月など)は出て来ません。
それは、どこかの星の話かも知れませんし、星が星と名の(nano)付く前の時ならぬ時を思い描いてのことでした。
「なの?」から全て想起された曲ですので、それは nano へも繋がってゆきました。 

「お父さん、みかんの木 何で 全部のみかん取らないの? どうしてなの?」

我が家には果樹が植わっています。  
柚子二本、みかん二本、梨一本、柿一本、栗二本、桃一本、それに絡んでアケビがなります。
山には山葡萄、野いちご、さるなし、またたび、、、 風や雨、鳥や獣が運んできた種たち。

「そいつは 鳥が とりに来るから」 

「そうだね それがいいね」  さ〜のよいよい〜 

秋になるといつもそんな会話をします。

そして、喉が渇くと果物を頂きに果樹へ手を伸ばし、果皮をむいて、中身を見ると
なんて分けやすい形をしているのでしょう。  

この星もくだもの (果=はて 物)なの? かも?  

そんな我が子との会話で生まれた曲でした。  


翌朝、出来上がった「はてなしはてな?」を母屋で流しておりますと、
スピーカーの前で長男は静かに絵本を自分で読み、次男は私の膝の上で耳掃除をねだって甘えてきました。

曲調が異なると、こんなにも子供の反応も変わるもの なの かと。 


番組さん側へ提出し、「てっぺんかけたか」ではなく、「はてなしはてな?」が採用となりました。 

毎度、私がつくる楽曲は、赤ちゃん達が簡単に歌えるような分かりやすい曲でなくて申し訳ないのですが、
ふとした時に この「?」の 想いがよぎる そんな曲になれたら嬉しいです。 

この かけがえのない だれのものでもない はてなしはてな 果物のような星を ほんの少し頂いて  ほんの少し 閃きの種を  お返しして。




"はてなしはてな?" の「?」を紐解く鍵となるワードを置いておきます。  


果無話/地球平面説/世界樹/ユグドラシルの木/ゾウリムシ/南方熊楠/nano/菌糸マット/雨垂れ耳垂れ/シロ/粘菌/8∞/レンマ/



果無話は今日も明日も明後日も明々後日も弥の明後日も続きます..........????






志人



はてなしはてな?(作詞・作曲:志人)  映像 最後の手段   単曲で公開されました。 制作果無話_d0158942_20273027.jpg







































偶因狂疾成殊類
災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵
当時声跡共相高
我為異物蓬茅下
君已乗軺気勢豪
此夕溪山対明月
不成長嘯但成噑

山月記  李徴 即席の詩 _d0158942_20455826.jpg























第24回文化庁メディア芸術祭Festival2021. 9.23-10.31
第24回 文化庁メディア芸術祭Festival2021. 9.23-10.31「とっぴんぱらりのぷぅ」上映 @日本科学未来館 イノベーションホール_d0158942_18031652.jpg

エンターテインメント部門で審査委員会推薦作品に選出して頂いた
「とっぴんぱらりのぷぅ」作詩・作曲 志人 映像 最後の手段(テレビ東京 番組名 シナぷしゅ 2020年8がつのうた)
日本科学未来館 イノベーションホール にて下記の期間、 12:30〜のプログラムH で上映されます。

今秋、日本科学未来館にて星や宇宙、ニュートリノに思いを馳せつつ、
懐かしいミライの映像に逢いに来て頂けたら嬉しいです。






「とっぴんぱらりのぷぅ」は
日本科学未来館 イノベーションホール にて
9.23-10.31の期間、12:30〜のプログラムH で上映





第24回 フェスティバルFestival2021.9.23-10.310:00 - 17:00※ 火曜休館

第24回 文化庁メディア芸術祭Festival2021. 9.23-10.31「とっぴんぱらりのぷぅ」上映 @日本科学未来館 イノベーションホール_d0158942_17451984.jpg
第24回 文化庁メディア芸術祭Festival2021. 9.23-10.31「とっぴんぱらりのぷぅ」上映 @日本科学未来館 イノベーションホール_d0158942_17452978.jpg
第24回 文化庁メディア芸術祭Festival2021. 9.23-10.31「とっぴんぱらりのぷぅ」上映 @日本科学未来館 イノベーションホール_d0158942_17453236.jpg
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第24回 文化庁メディア芸術祭Festival2021. 9.23-10.31「とっぴんぱらりのぷぅ」上映 @日本科学未来館 イノベーションホール_d0158942_17464923.png



第24回 フェスティバルFestival

2021.9.23-10.3

10:00 - 17:00

※ 火曜休館

第24回文化庁メディア芸術祭は、世界103の国と地域から応募された3,693作品の中から、アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4つの部門ごとに、大賞、優秀賞、ソーシャル・インパクト賞、新人賞、U-18賞を選出しました。また、世界34の国と地域から応募された114作品の中から、フェスティバル・プラットフォーム賞を選出しました。あわせて、功労賞としてメディア芸術分野に貢献のあった方を選出しました。
受賞作品展では、多様な表現形態を含む受賞作品と、功労賞受賞者の功績を一堂に展示します。

主催

第24回文化庁メディア芸術祭実行委員会

会長

都倉 俊一(文化庁長官)

運営委員

建畠 晢(多摩美術大学長)

古川 タク(アニメーション作家)

協力

CINEMA Chupki TABATA
EIZO株式会社
インテル株式会社
株式会社サードウェーブ
株式会社デビッドワッツ
株式会社ビームス
株式会社ヒューマックスシネマ
株式会社ユニットコム
株式会社ワコールアートセンター
大日本印刷株式会社
デル・テクノロジーズ株式会社
日本科学未来館
パナソニック株式会社(パナソニックセンター東京)
富士通クライアントコンピューティング株式会社
分身ロボットカフェDAWN ver.β

協賛事業

Bunkamura × MAPP_ 「PLAYTIME」(Bunkamura)

Différence de nature – 本性の差異 – (Studio tune)

TIGER & BUNNY 10th Anniversary in GINZA
MITSUKOSHI -Limited Collaboration(株式会社三越伊勢丹)

劇場アニメ映画『漁港の肉子ちゃん』(吉本興業株式会社、アスミック・エース株式会社)

東京2020 NIPPONフェスティバル
「ONE-Our New Episode- Presented by Japan Airlines」
Our Glorious Future 〜KANAGAWA 2021〜
カガヤク ミライ ガ ミエル カナガワ 2021(神奈川県、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会)










































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Think/Sing Speak/Spark
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I like to think, but I also think it is important to get away from thinking.
It's not something I do consciously, but it seems to be something I do unconsciously.
In other words, most of the knowledge I gain from reading, or most of the reading that begins with a desire for knowledge, ends up not making sense to me, and I simply continue to breathe in and out, and run, as long as I can shake off the vast amount of knowledge and become absorbed in running through life. When I get tired, I fall asleep like mud.
I guess that's what happens to the brain and the body.
When my mind and body become one, I will sing.
At the end of letting go of all desire for knowledge, we will sing. 
Some of the songs may be hidden by the afterimage of that knowledge.
To be free from all thoughts, music is a blessing of life for us human beings. I wish.
The poet knows how to cross the line.
Deviance.
Our voices are so much more than the half-hearted confines of history and time.
Why do I declare it as half-hearted?
It is because the history and times that we can experience firsthand are like sparks from a flint.
In order to boil and cook with those sparks, you will need to make friends with the wood spirit. A scrap of rhyme note will support the flame. 
That is the dearest experience of life.
What else is there to believe but what we experience as it happens before our eyes?
Experience is the best part of life.
The experience of reading is almost like an unknown adventure. It is also an adventure of the mind, in the brain.
However, I have legs. I have hands. I have eyes, and I have ears.
I walk, touch, watch, and listen today, trying not to mistakenly believe that these things are normal, and asking myself the question of how to send signals to those who do not have them.
Where to? To what? 
I throw away my thick books and go downhill. Or go deeper into the forest to dive.
Sometimes I go to melt into the sea.
Where do we come from, and where do we go?
Let's improvise a mountain/sea sandwich, make it on the spot, and eat it.
That day, under the same moon, around one fire, surrounded by so many lives.
We sang.
Do you remember? 
That's improvisation.
Therefore, my way of reading is similar to that of appreciating a painting, which is nothing but reading from the heart.
The contradiction is that when I am sending electric signals to social networks, I am neglecting interests and experiences that could be directed elsewhere.
The text already written here does not belong to me.
Because I've already given it away.
It is a time that I can let go of immediately.
I'm running through today towards spending my life in a way that is not easy to let go of instantly.
Because it is also to surrender everything to you.
sibitt
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考えることは私は好きだ
しかし 考えから離れてゆくことも大切だと考える
それは意識的なものではなく 無意識にそうさせているようにも思える
つまり読書から得られた知識 あるいは知識欲からはじまる読書の大半は
私の場合 腑に落ちずに終りを迎え その膨大な知識を振り払って
人生を走り抜けることに夢中になる限り 
単純に息を吸っては吐く そして走ることを続ける
疲れたら泥のように眠りこける
それは脳にも身体にも起きている現象なのだろう
心と身体が一つになる時 私は歌うのだろう
あらゆる知識欲を抛ち その果てに 我々は歌うのだ
中にはその知識の残像が見え隠れする歌もあるのだろうが
あらゆる考えから解き放たれるためにも音楽は我々人類にとって
生命を祝福するものであると
願わくば
詩人はその境界線の越え方を熟知している
逸脱 だ
我々の声は 歴史や時代という生半可な括りを優に超える
何故私はそれを中途半端と断言するのか
それは、私達が肌で感じることが出来る歴史や時代というのは 火打ち石の火花のようだからである
その火花で煮炊きをするには木霊と友だちになる必要があるでしょ
韻律ノートの切れ端が炎を支えるのです
それが人生の最愛なる経験なのです
眼の前で起きる体験以外に何を信じればよいのだろうか?
体験 体感こそが 人生の醍醐味である
読書体験というものは未知なる冒険に近い それも脳みその中で 心の冒険だ
しかしながら 我には足がある 手がある 目があり 耳がある
それが普通のことだと誤認してしまわぬように
それらが無い人々への信号をどのように送るのかという命題を自らに課すようにして
今日も歩き 触れ 観て 聴く
何処へ? 何を? 
分厚い書物を捨てて 下山する 
或いは もっと森の奥深くへ遡るようにして潜り込む
時には海に溶けに行く
我々は何処から来て 何処へ行くのか?
山と海のサンドイッチを即興的に その場で作って食べましょう
あの日 同じ月の下で 一つの火を囲んで 沢山の命に囲まれて
我々は歌いました
憶えていますか? 
それが
即興
です
したがって私の読書方法は絵画の鑑賞に近いものになる 心で読むにほかならない
こうしてソーシャルネットワークに電気信号を送っている時点で
は他に向けられるであろう関心や体験を疎かにしてしまっている
という矛盾を孕んでいる
すでに此処へ書かれた文字列は 私の物ではない
即座に手放すことが出来る時間である
即座に手放すことが容易ではない人生に明け暮れる事へ向けて 本日も本日を走り抜ける

それは

貴方へ 全てを 明け渡す ことでもあるからである


志人


















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